2008年02月14日

ゲント 鐘楼とファン・エイク「神秘の子羊」







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 ゲント(Gent、英:Ghent) は、ベルギー北西部、東フランデレン州の州都で、花の都市と言われるベルギー第3の都市で、人口22万人。

 東にブリュッセル、北東にアントウェルペン、南西にはフランスのリール。ブリュッセル中央駅から列車で40分、パリ北駅から2時間5分。「青い鳥」の作者メーテルリンクの故郷。

 街の起源は、スヘルデ川(Schelde)とリース川(Lys)の合流地点に築かれた集落で、ゲントの名は、ケルト語の「ganda:合流する」に由来。

 4世紀末、古代ローマ帝国内に侵入してきたフランク王国によって、ケルト語やラテン語は消え、古代のオランダ語が使われるように。

 650年頃、サンタマン(Saint Amand)によって、ゲントに聖ピエトロ修道院(Saint Peter Abbey)と聖バーフ修道院(St. Bavo's Abbey)の2つの修道院が創建された。

 800年には、カール大帝から王位を継承した後のルイ1世が、『カール大帝伝』の著者アインハルトを修道院長に任命した。

 851年と、879年には、ヴァイキングによる攻撃と略奪を受けた。

 942年、聖バーフ大聖堂の前身、聖ヨハネ・バプティスト礼拝堂が建てられた。

 11世紀から復興し、13世紀まで、ロンドンやケルン、モスクワよりも大きい、パリに次ぐ大都市であった。

 1180年、フランドル伯アルザス家のフィリップが、現在の街の中心にあるフランドル伯城(Het Gravensteen)を築いた。

 街の周辺は、季節的な洪水により草がよく繁茂したため、羊の飼育に適し、これにより、中世を通じて、ゲントは、毛織物に使われる羊毛の主産地に。ブルージュで起こった毛織物産業は、ゲントでヨーロッパ最初の工業地域を形成。

 1314〜38年、ギルドによって、高さ91mの鐘楼(Belfort)が建てられ、その隣には、15世紀に繊維ホール(ラシャ取引所、Lakenhalle)建てられた。

 こうした背景が、フランダース地方とイングランドの良好な関係を築き、ゲントはイングランド王エドワード3世の子ジョン・オブ・ゴーント(John of Gaunt、1340-1399年)の生地。ゴーントは、ゲントを意味する。

 しかし、これゆえ、イングランドとフランスの百年戦争(1337〜1453年)の際の打撃は大きかった。

 14世紀後半〜15世紀半ばには、ヴァロワ家4代のブルゴーニュ公国の支配下に。

 この間、14〜16世紀半ばに、聖バーフ大聖堂(Saint Bavo Cathedral, St.Baafskathedraal)が建設された。

 フィリップ善良公(Philip the Good 、在位:1419-67年)の頃、ファン・エイク兄弟などのフランドル派絵画や、ブルゴーニュ楽派の音楽はヨーロッパで最高水準のものとなった(北方ルネサンス)。

 弟のヤン・ファン・エイク(Jan Van Eyck 、1390年頃-1441年)は、公国の宮廷画家で、油彩画の技法を完成させ、1432年聖バーフ大聖堂に「聖なる子羊の礼拝(神秘の子羊:The Adoration of the Mystic Lamb)」をはじめとする「ゲントの祭壇画(Ghent Altarpiece)」が描かれた。

 ゲントで生まれ、神聖ローマ皇帝とスペイン王となったカール5世は、1539年に、ゲントで反乱が起きると厳しく弾圧し、聖バーフ修道院は廃止された。1559年には、ゲント司教管区が置かれ、教会は大聖堂となった。

 16世紀後半と17世紀には、一時カルビン派の拠点と化したゲントは、スペイン軍の制圧のもと、カトリックを復活させることに。

 この間の宗教戦争により、国際都市としての位置づけを失ったが、18〜19世紀には、毛織物産業は復活を遂げた。



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☆ www.visoog.be

☆ www.belgium-travel.jp

☆ 祭壇画「神秘の子羊」左欄の下から3番目 Open-Centerをクリック → C-4をクリック

☆ www.sintbaafskathedraal-gent.be

☆ ユネスコ世界遺産HP「ベルギーとフランスの鐘楼群」のうち、
ラーケンホール、鐘楼、 Mammelokker(ID 943-008)



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★Ghent city


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★Ghent-Belgium


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★Boat tour on the Lys river in Ghent


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★The Belfry of Ghent


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★Downtown Ghent


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★Fotovideo Gent, Belgium, december 2007


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posted by トラベラー at 21:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 欧州各国

マーストリヒト オランダ最古の都市







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 マーストリヒト(Maastricht)は、オランダ南東部から東はドイツ、西はベルギーに挟まれて半島のように突き出た形になったリンブルグ州の州都で、ベルギー国境側に位置する。

 1993年11月1日、欧州連合が、この地で締結されたマーストリヒト条約によって発足したことで有名。

 西のブラッセルまで約120km、東のアーヘンまで約40km、ケルンは約100km。ちなみに、アムステルダムは北北西に約220km。

 フランスのシャンパーニュ地方を源流とし、ベルギーを北東に突き抜けたマース川(Maas)が、ちょうどオランダに入ったところに、マーストリヒトが位置する。

 マーストリヒトとは、「マース川を渡る」という意味のラテンMosae Trajectum (Mosa-crossing)からきている。

 従来から、オランダで最も古い都市が、マーストリヒトなのか、ヘルダーラント州のナイメーヘン(Nijmegen)なのか、議論が分かれる。

 ナイメーヘンは、最初にローマの都市となり、一方、マーストリヒトは、古代ローマの集落で、中世の都市として最初に認められた歴史がある。

 マーストリヒトの西に、8千〜2万5千年前の旧石器時代の遺跡があり、少なくともローマ人がやってくる5百年前には、ケルト人が、マース川の浅瀬のあるこの場所に住み着いていた。

 その後、ローマ人が橋を渡し、ケルンなどと結ぶ広い道が造られたが、3世紀頃からローマの勢力が衰え、ライン川の東からゲルマン人の襲撃、略奪が増えた。

 このため、橋のあるマーストリヒトは戦略上重要で、塔や塹壕などとともに市壁が囲む要塞となった。

 ゲルマン人の攻撃を避けて、キリスト教の大司教、聖セルファチウスも、トングレン(現ベルギー東部の都市)から、要塞のあるマーストリヒトに移って来た。384年頃、ここで亡くなり、その墓所に、150年後、聖セルファチウス大聖堂の前身の礼拝堂が建てられた。

 402年頃、ローマ軍が引き上げると、フランク王国の支配下に。

     722年、司教座はリエージュに移されたが、課税権や裁判権は、そのまま維持された。

 中世には、カロリング朝フランク王国の一部となり、神聖ローマ帝国を構成する複数の領邦国家が並立する中、町が2分され、リエージュ司教領とブラバント公領という2重統治を受けることに。

 11〜13世紀、ロマネスク様式の聖セルファチウス大聖堂(Basilica of Saint Servatius)が建築され、13世紀前半に、南側にゴシック様式の玄関が付け加えられ、オランダで最初のゴシック建築に。

 1204年、マーストリヒトは、都市の権利を獲得。

 1477年、ブラバント公の流れを引くブルゴーニュ公国の女公マリーが、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に嫁いで、ブルゴーニュ公国の最後の君主となり、1482年以降、ハプスブルク家の所領に。

 1632年には、オランダ総督のオラニエ公フレデリック・ヘンドリック(Frederik Hendrik van Oranje, 1584〜1647年)が、ハプスブルク家のスペインとの戦争に勝利し、ベルギーとの国境までオランダの領土を拡大。

 マーストリヒトは、重要な戦略位置にあったことから、都市の周りに要塞が並び立った。

 1673年、フランス王ルイ14世が、南ネーデルラントの継承権を主張して起こしたネーデルラント継承戦争で、マーストリヒトは、6年間、フランス軍に占拠された。

その後、1748年は、オーストリア継承戦争で、1794年は、フランス革命戦争でフランスの県に。

 1815年、ウィーン会議によって設置されたネーデルラント王国(ベネルクス三国で構成)に。

 1830年、南部が独立してベルギー王国となる際には、マーストリヒトに駐屯した軍が、オランダ王への忠誠からオランダに留めることに。地理的にも、文化的にもベルギーに近いことから問題となったが、1839年のロンドン条約によってこのことに合意が得られた。

見所:

 マーストリヒトは、その歴史的背景から、他のオランダの地方とは違った趣のある町。古代ローマ時代の遺跡をはじめ、歴史的な建造物が1000以上も保存されている。

 旧市街と新市街を隔てるマース川に架かる聖セルファース橋(Sint-Servaasbrug)は、13世紀に造られたオランダでも最古の橋の一つで、町のシンボル。

 また、13〜16世紀に築かれた、市の城壁(Mittelanlterlichen)の一部が、聖セルファース橋の南、旧市街の南東部に残っており、1229年の「地獄門(Helpoort)」は、18世紀のペスト流行時に、患者はこの門を通って隔離され、ほとんど生還した者がいなかったため、この名がついた。

 旧市街の広場「マルクト(Markt)」にある1664年の市庁舎(Stadhuis)は、ネオ・クラシック様式で、正面玄関にある2つの入口は、ブラバンド公国とリエージュ大司教の覇権争いの名残。

 聖セルファース教会(Sint-Servaasbasiliek)は、オランダ最初の大司教・聖セルファチウスにちなみ、11〜13世紀に造られたオランダ最初のゴシック建築。

 聖ピータースベルグの洞窟(Caves of Mount St. Pieter)は、建築用のマール石の採石場として掘られ、第2次世界大戦の時はシェルターとして使用された。現在、2万以上もの通路からなる巨大な迷路に。

 また、マーストリヒト郊外(電車で15分)のファルケンブルグでは、ファルケンブルグ城近くの「ベルベットの洞窟(Fluweelengrot)」で行われるユニークな洞窟のクリスマス・マーケットが有名。



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