☆ 地図と写真(panoramio)
ストラスブール(Strasbourg)は、ドイツ国境に近いフランス北東部、アルザス地方の中心都市。アルザス地域圏の首府、バ・ラン県(Bas-Rhin)の県都で、人口約27万人。
ストラスブールは、「道の街」という意味で、「ヨーロッパの十字路」と言われるアルザスの中でも、東西、南北の道が交差し、ライン川の河川港を抱える交通の要衝。
古代ローマ時代に、ローマの属州、「高地ゲルマニア」の軍事拠点として築かれ、紀元前12年には、アルゲントラトゥム(Argentoratum)と呼ばれていた町が、現在の「グラン・ディル(Grande Île)」である。
4世紀には、司教座が置かれた。
357年、この地のゲルマン人(アラマンニ人)は、ローマ軍に対し「アルゲントラトゥムの戦い」で挑んだが、後のローマ皇帝ユリアヌス(在位:331- 363年)率いるローマ軍に敗れた。 しかし、凍り付いたライン川を渡って、5世紀初めには、今日のアルザスとスイスの大部分を支配した。
455年、フン族に破壊されたが、フランク族によって再建された。この頃には、ライン川とウェーザー川の間の地域に居住する複数のゲルマニアの民族は、フランク族と総称されるようになっていた。
9世紀には、シュトラースブルク(Strazburg)と呼ばれる商業の中心地となり、923年には、神聖ローマ帝国の支配下に置かれ、ロートリンゲン公が治めた。
その後、司教と市民の対立が続き、1162年の「オーバーハウスベルゲンの戦い(Oberhausbergen)」に勝利した後、神聖ローマ皇帝フィリップ(在位:1198- 1208年)から帝国自由都市に認められた。
1332年、ギルドの力が強まり、市民が市政に参加することとなり、ストラスブールは自由な共和国であることを宣言した。
しかし、1348にペストが流行して多くの死者が出ると、ユダヤ人への迫害が大規模に起こった最初の地となった。
1439年、12世紀から始まっていたストラスブール大聖堂が北塔とともに完成し、当時、ギザのピラミッドを抜いて世界一の高さを誇った。
また、1440年にグーテンベルクが発明したヨーロッパ初の印刷機を用いた印刷所が、この街に出来た。
1618〜48年の三十年戦争では中立を保つことが出来たが、1681年には、フランス王ルイ14世が、自然国境論のもとこの地域に触手を伸ばし、ファルツ継承戦争(1688〜97年)に発展、1697年のレイスウェイク条約によって、ストラスブールはフランス領となった。シュトラースブルクはフランス語風にストラスブールと呼ばれるようになった。
1685年のフォンテーヌブローの勅令以降、フランスからプロテスタントが流出したが、アルザスはこの勅令の適用から除外されていたものの、ストラスブール大聖堂は、ルター派からカトリック教会に戻された。
また、1538年に、ルター派のギムナジウムから始まって、1631年に大学となったシュトラスブルク大学は、フランス革命まで残り、ゲーテとヘルダーが学んだ。
フランス革命政府によるオーストリアへの宣戦布告の知らせがストラスブールに届いた際、『ライン軍のための軍歌』と題して、工兵大尉ルージェ・ド・リールが、1792年4月に開かれた市長主催の晩餐会で、ライン方面軍司令官ニコラ・リュクネール元帥に献呈した。
これが、後の「ラ・マルセイエーズ」となったのだが、皮肉にもフランス革命によって、ストラスブールの帝国自由都市としての独立は失われた。
また、教会や修道院は破壊されたり被害を受け、大聖堂は、彫刻の多くを失い、1794年にその尖塔は平等の精神に反するものとして取り壊されたが、塔は無事であった。
19世紀には、工業と商業の発展で人口が急増した。
普仏戦争では、プロイセン軍の砲火を浴び、1870年には美術館や図書館が炎上し、貴重な資料が失われた。プロイセンの勝利により、アルザス・ロレーヌ地方はドイツ帝国領に復帰した。
1919年、第1次世界大戦でフランスが勝利すると、この地域は再びフランス領に、さらに、1940年にナチス・ドイツがドイツ領とした。
第2次世界大戦での独仏戦の戦火に遭った後、1944年、連合国によって奪還され、フランス領となり、戦後は「ヨーロッパの歴史を象徴する都市」として、欧州の主要な国際機関が置かれた。
1988年、ストラスブールの旧市街は、「ストラスブールのグラン・ディル」としてに世界遺産に登録された。
見所:
○ ストラスブール大聖堂(Cathedrale de Strasbourg)
高さ142mの尖塔のある大聖堂は、ストラスブールの街のランドマーク。
1176〜1439年、300年をかけて建築され、ヴォージュ山地から切り出したバラ色の砂岩が用いられた荘厳な建物はゴシック建築の傑作と言われる。
『最後の審判』が描かれた「天使の柱」や12〜15世紀のステンドガラスなどが見事。
1842年に取り付けられた天文時計は、仕掛け時計になっており、12時半に動き出す。
☆ 写真集(panoramio)
○ プティット・フランス(Petite-France)
戦災を逃れた中世のアルザスの伝統家屋の木組み、切妻の家が密集した地区で、イル川が4本の水路に分岐したこの一帯には、かつて革なめし職人や漁師、粉屋などの居住地区だった。
ストラスブールはイル川の水運で栄えた水の都で、プチット・フランス地区には水位の違いを調整して船が航行する閘門がある。
☆ 写真集(panoramio)
○ 聖トマス教会(Eglise Saint-Thomas )
モーツアルトや、医者で音楽にも通じていたアルベルト・シュバイツァーが弾いたジルバーマン製作のオルガンがある。
☆ 写真(panoramio)
○ パレ・ロアン(Palais Rohan)
元の大司教の宮殿跡に、ヴェルサイユ宮殿の礼拝堂を手がけたロベール・ド・コットの設計で、古典主義様式で、1731〜42年に建築された。
1744年にはルイ15世が、1779年にはマリー・アントワネットが滞在した。
また、ナポレオンも、1805〜09年に、しばしば滞在し、自分と妻のジョセフィーヌの好みに合わせて幾つもの部屋を改装させた。
1944年の爆撃で被害を受け、1990年代になって修復が完了した。
考古学博物館、装飾博物館、美術館(ラファエロ、ボッティチェリ、ジオット、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ワットー、ブーシェ、ゴヤ、ドラクロワなどを収蔵。)が入っている。
☆ 写真集(panoramio)
○ 近代・現代美術館(Musee D'art Moderne et Contemporain)
モネ、ルノワール、ゴーギャン、クリムト、カンディンスキーなどの作品が展示されている。
☆ 写真集(panoramio)
○ アルザス博物館(Musée Alsacien)
アルザス風の木組みの民家を改装した民族博物館で、民族衣装、家具、手描きの陶器などが展示され、陶芸、木工の作業場など、アルザス地方の人々の生活の様子が再現されている。
☆ 写真(panoramio)
☆ 写真集(PBase)
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☆ www.oeuvre-notre-dame.org
☆ www.musees-strasbourg.org
☆ ユネスコ世界遺産HP
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