☆ 地図と写真(panoramio)
ヴォー・ル・ヴィコント城(Château de Vaux-le-Vicomte)は、フランス、イル・ド・フランス地域圏(Ile-de-France)、セーヌ・エ・マルヌ県、パリから南西に約55km、フォンテンヌブローの手前のマンシー(Maincy)にある。
この城は、1658〜61年に、ルイ14世の財務大臣ニコラ・フーケ(Nicolas Fouquet、1615〜80年)によって建てられたもので、17世紀後半、ヴェルサイユ宮殿を始め、その後の宮殿建築に大きな影響を与えた。
フーケによって、建築家ル・ヴォー(Louis Le Vau)、造園家ル・ノートル(André le Nôtre)、画家ル・ブラン(Charles Le Brun)という当時の最高の芸術家が共に従事した、最初の大規模な建設工事であった。
構造、内装、装飾、そして庭園を一体的に造り上げる「ルイ14世様式」は、コラボレーションの先駆けとなった。
ヴォー・ル・ヴィコント城は、3方を堀で囲まれ、門からは真っ直ぐに、中心軸となる長い道が前庭まで続き、全体がシンメトリーな配置となっているバロック様式の城である。
フーケは、有力な貴族の家柄の出身で、13歳でパリ高等法院の弁護士として認められ、20歳で参事院請願委員の地位を獲得し、26歳の時、1641年に、ヴァンセンヌとフォンテンブローとの王宮の間にあった小さな城を購入した。
35歳の時にパリ高等法院の検事総長の地位を獲得、その翌年、資産家貴族の娘マリー・ドカスティーユと結婚、38歳で財務大臣となった。
1656年、ルイ14世の財務大臣となったフーケは、この壮大な城を建て、新築祝いの晩餐会では、劇作家モリエールによる観劇や、打ち上げ花火など華々しいものとなった。その後も、モリエールや詩人ラ・フォンテーヌを始めとする芸術家が集まる、社交、文学、芸術の中心となった。
フーケは、国の財政のために個人資産を流用することもあったが、やがて公私混同が激しくなって行った。しかし、検事総長であったため、資産調査からは免れていた。
ルイ14世の実質的な宰相マザランの後継者を目指したフーケであったが、やがて、その華美な生活について、マザランや部下のコルベールから、その妬みも含め、ルイ14世に、公金の横領で華美な生活をしていると告げられ、王の不興を買った。
1661年、フーケが開催した晩餐会は盛大で、モリエールの「はた迷惑な人たち(Les Fâcheux)」が初演される中、招かれたルイ14世は、フーケの弾劾を決意した。
企みにより、検事総長の地位を売り渡すことを仕組まれた上で、晩餐会の3週間後、王に伴ってナントを訪れた際、フーケは、突然逮捕された。
一般大衆の同情や、フォンテーヌ等の擁護にもかかわらず、常軌を逸脱した裁判によって、フーケに終身刑が下され、生涯監禁された。また、その妻は追放、120ものタペストリー、彫刻などを含め、城は没収された。
重商主義者として知られるコルベールは、フーケの失脚後、財務大臣となって、権力を握った。
また、この城と庭園の建設に携わったル・ヴォー、ル・ノートル、ル・ブランは、そのまま、ヴェルサイユ宮殿の設計、建築に従事させられることとなった。
事件から10年後、フーケの妻は、城の財産権を回復出来たものの、1705年には売却され、転売が繰り返された。
1875年、オークションに掛けられた時には、城も庭園も荒れ放題であったが、アルフレッド・ソミエ(Alfred Sommier)が購入して修復し、その後は、ソミエ家が維持・管理している。
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