2008年11月29日

ミラノ スフォルツェスコ城




☆ 地図と写真(panoramio)

 スフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)は、イタリア北部、ロンバルディア州の州都、ミラノ(Milano)にある城塞で、スフォルツァ城とも呼ばれる。

 現在は、ミラノ市の博物館や、美術館が入っており、ミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されている。

 ミラノは、紀元前600年頃のケルト人の町が起源で、紀元前222年にローマにより征服され、Mediolanum(平原の真中)と呼ばれ、ローマ帝国のもとで繁栄した。

 4世紀、司教アンブロジウスと皇帝テオドシウス1世の時代には、西ローマ帝国皇帝の宮殿がおかれ、西ローマ帝国の首都であった。

 450年頃、アッティラ率いるフン族の略奪を受け、539年には、ゴート族に破壊された。

 東ゴート王国(493〜552年)、東ローマ帝国、ランゴバルド王国(568〜774年)の支配を経て、8世紀末頃、再び繁栄しはじめた。

 中世を通じて、ミラノは大司教に統治されたが、下層の封建貴族が力をつけ、11世紀には、富裕な自治都市となり、神聖ローマ帝国から独立していた。

 1162年、神聖ローマ帝国フリードリヒ1世(在位:1152 - 90年)のイタリア遠征の際に攻撃されたが、ロンバルディア同盟を結成して、1176年には、これに勝利した。

 1183年、コンスタンツの和約により、自治が回復し、新しい繁栄の時代を迎えた。

 1262年、教皇ウルバヌス4世(在位:1261 - 64年)から、オットーネ・ヴィスコンティ(Ottone Visconti)がミラノ大司教に任ぜられた。

 1271年には、ヴィスコンティ家の一族から、教皇グレゴリウス10世(在位:1271 - 76年)を誕生させた。

 1277年、オットーネ・ヴィスコンティが、当時の領主デラ・トレ家(Della Torre)から、ミラノの統治権を奪うことに成功し、ミラノの僭主シニョーレとなった。

 1360〜70年、ガレアッツォ2世・ヴィスコンティ(Galeazzo II Visconti、在位:1349−85年)によって、ミラノの城壁に沿って城塞が築かれ、次代のジャン・ガレアッツォによって、ヴィスコンティ家の居城とされ、北側には広い庭園が設けられた。城は、180m四方で、角には塔が配置された。

 1395年、神聖ローマ皇帝ヴェンツェル(在位:1378 - 1400年)に認められて、ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(在位:1395〜1402年)が、初代ミラノ公となって、この時代、ヴィスコンティ家は絶頂期を迎え、ミラノも繁栄を極めた。

 1447年、フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ(在位:1412−47年)が、跡継ぎを残さず亡くなった後、1447〜50年の間は、アンブロジアーナ共和国が建てられ、ヴィスコンティ城の石が、街の城壁を補修するため使われた。

 1450年、傭兵隊長としてミラノ公に仕えたフランチェスコ・スフォルツァ(Francesco Sforza, 在位:1450−66年)が、権力を握り、フィリッポ・マリーアの娘ビアンカと結婚して、スフォルツァ家からの最初のミラノ公となった。

 同年、フランチェスコ・スフォルツァは、かつてのヴィスコンティ城の跡に、新たな城の建築を開始した。

 城の入り口には、高さ70mあるフィラレーテ塔(Torre de Filarete)が造られた。

 1466年、次代のガレアッツォ・マリーア・スフォルツァ(在位:1466−76年)は、城の中庭に、豪華な住まいドゥカーレ宮(Corte Ducale)を増築した。

 1480〜1500年、レオナルド・ダ・ヴィンチの初期のパトロンとして有名なイル・モーロこと、ルドヴィーコ・スフォルツァ(Ludovico il Moro)は、建築家ドナト・ブラマンテ(Donato Bramante)と、レオナルド・ダ・ヴィンチに依頼して、防塁を見下ろす橋を造らせ、アッセの間(Sala delle Asse)にフレスコの天井画を描かせた。

 1499年に、イル・モーロがフランソワ1世に破れ、フランス軍に城は占領された。フィラレーテ塔は、弾薬庫になり、1521年の落雷で爆発事故が起こり、塔は完全に破壊された。

 1526年には、スペイン軍が侵攻し、その占領下、城を囲む星型の要塞が造られた。

 その後、1706年以降、1796年にナポレオン軍に攻撃されるまで、1世紀続いたオーストリアの支配下、城は軍隊に占有され、修復が繰り返された。

 ナポレオン軍の占領下では、外部の要塞は取り壊され、城は軍の宿泊所となり、ドゥカーレ宮(Corte Ducale)は、厩として使われた。

 ナポレオン失脚後、1815〜59年の間、再びオーストリア支配が続き、城はミラノ市民によって襲撃を受けた。

 1861年に、イタリアが統一されると、修復が開始された。城の周りに新たな防塁が掘られ、ロケッタ(Rocchetta)や、ボア塔(Boa tower)も修復・再建された。

 1905年に、フィラレーテ塔が完成し、城はミラノ市に返還され、美術館、博物館、図書館に利用されている。



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YouTube動画 その2
★Castello sforzesco


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★Castle Sforzesco


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★Castello Sforzesco


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YouTube動画 その6
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★Castello Sforzesco Milano




posted by トラベラー at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア
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