2009年01月05日

南仏 アントルヴォー ロワイヤル橋とヴォーバンの要塞




☆ 地図と写真(panoramio)

 アントルヴォー(Entrevaux)は、フランス南東部、プロヴァンス・アルプ・コート・ダジュール地域圏のアルプ・ド・オート・プロヴァンス県(Alpes-de-Haute-Provence)にあり、人口7百人余り。

 ニースから、プロヴァンス鉄道(Chemins de Fer de Provence)ディーニュ行きで約1時間半。日に2〜4便程度。

 村は、ヴァル川(Var)が半円形に曲がる内側の切り立った岩山の上にあり、鉄道駅からは橋を渡って入る。

 イスラム軍の侵略によって、元あった町(Glandeves)が壊滅したため、1040年頃に、より安全な場所として選ばれ、新たな村が造られた。

 その後、この村を含めプロバンス地方は、1481〜87年の間、フランス王国の一部となった。

 1536年、アントルヴォーは、時の領主の裏切りにより、神聖ローマ皇帝カール5世の軍に占領され、住民の半分が虐殺された。

 生き残った住民は、反乱を起こして裏切り者の領主を殺し、フランソワ1世(在位:1515 - 47年)に、領地を差し出した。

 これにより、アントルヴォーは、王領の村となり、住民は税を免除された。

 同16世紀には、元からあった司教座大聖堂(Cathedral Glandeves)が放棄され、新たな大聖堂が建築された。

 1658年、ヴァル川に見張り塔のついたロワイヤル橋(Porte Royale)が架けられた。

 1690年、この村が、サヴォイア王国との国境にあり、ヴァル渓谷を守る戦略上の重要性から、軍事建築家ヴォーバンによって、さらなる村の要塞化が図られた。

 村の背後の山の頂上に要塞シタデルが築かれ、村から頂上までは、防護された道で結ばれた。また、村そのものの守りも強化され、イタリア門(Porte d'Italie)とフランス門(Porte de France)が設けられた。

 1707年の短期間、サヴォイア軍に包囲されたが、住民が抵抗を続け、フランス軍の到着で救援された。

 第1次世界大戦中、シタデル(写真(panoramio))は、ドイツ兵の捕虜収容所として使われた。



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★Entrevaux


YouTube動画 その2
★Viaggio nella città di Entrevaux in Francia


YouTube動画 その3
★Chemins de Fer de Provence a Entrevaux


YouTube動画 その4
★Vauban's Citadel of Entrevaux (South of France)


YouTube動画 その5
★FRANCE: TRAINS: French Train from Nice to Entrevaux Vacation




posted by トラベラー at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | フランス
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