☆ 地図と写真(panoramio)
アントルヴォー(Entrevaux)は、フランス南東部、プロヴァンス・アルプ・コート・ダジュール地域圏のアルプ・ド・オート・プロヴァンス県(Alpes-de-Haute-Provence)にあり、人口7百人余り。
ニースから、プロヴァンス鉄道(Chemins de Fer de Provence)ディーニュ行きで約1時間半。日に2〜4便程度。
村は、ヴァル川(Var)が半円形に曲がる内側の切り立った岩山の上にあり、鉄道駅からは橋を渡って入る。
イスラム軍の侵略によって、元あった町(Glandeves)が壊滅したため、1040年頃に、より安全な場所として選ばれ、新たな村が造られた。
その後、この村を含めプロバンス地方は、1481〜87年の間、フランス王国の一部となった。
1536年、アントルヴォーは、時の領主の裏切りにより、神聖ローマ皇帝カール5世の軍に占領され、住民の半分が虐殺された。
生き残った住民は、反乱を起こして裏切り者の領主を殺し、フランソワ1世(在位:1515 - 47年)に、領地を差し出した。
これにより、アントルヴォーは、王領の村となり、住民は税を免除された。
同16世紀には、元からあった司教座大聖堂(Cathedral Glandeves)が放棄され、新たな大聖堂が建築された。
1658年、ヴァル川に見張り塔のついたロワイヤル橋(Porte Royale)が架けられた。
1690年、この村が、サヴォイア王国との国境にあり、ヴァル渓谷を守る戦略上の重要性から、軍事建築家ヴォーバンによって、さらなる村の要塞化が図られた。
村の背後の山の頂上に要塞シタデルが築かれ、村から頂上までは、防護された道で結ばれた。また、村そのものの守りも強化され、イタリア門(Porte d'Italie)とフランス門(Porte de France)が設けられた。
1707年の短期間、サヴォイア軍に包囲されたが、住民が抵抗を続け、フランス軍の到着で救援された。
第1次世界大戦中、シタデル(写真(panoramio))は、ドイツ兵の捕虜収容所として使われた。
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