2009年01月19日

コブレンツ 世界遺産「シュトルツェンフェルツ城」




☆ 地図と写真(panoramio)

 シュトルツェンフェルツ城は、ドイツ南西部、ラインラント・プファルツ州のコブレンツの中心部から南に約6kmのライン川沿いの山腹にある。

 1242〜59年に、ライン川を往来する船から通行税を徴収するため、トリーア大司教アルノルト2世・フォン・イーゼンブルク(Arnold von Isenburg)により城が建てられ、跳ね橋、門、主塔、礼拝堂などが配された。

 トリーア大司教は、中世になるとコブレンツなどライン河沿いにも領地を持ち、マインツ大司教、ケルン大司教と並んで神聖ローマ帝国の有力諸侯となっていた。

 14世紀、トリーア大司教となったルクセンブルク家のバルドウィンは、兄ハインリヒ7世とその孫カール4世の皇帝選出にも関わる強大な影響力を持ち、カール4世が1356年に発布した金印勅書によって、トリーア大司教は、七選帝侯の一人に指定された。

 15世紀初頭、トリーア大司教ウェルナー・フォン・ファルケンシュタイン(Werner von Falkenstein)の時代に城は拡大され、単なる通行税徴収のための施設から、トリーア選帝侯のコブレンツでの宮殿として使用されるようになった。

 1689年、プファルツ継承戦争の際、フランス軍によって破壊された。

 1802年には、コブレンツの市の所有となったが、1823年に、時のプロイセン王国の王子、後の王フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世(在位:1840-61年)にプレゼントとして譲渡された。

 1836〜42年にかけて、フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世によって、城が再建され、夏の離宮とされた。

 その際、ベルリン王立劇場や、博物館島にあるアルテス・ムゼウムなど、プロイセン王室の建築家として活躍した建築家カール・フリードリック・シンケル(1781〜1841年)に設計が任された。

 ドイツの新古典主義建築を代表する建築家であったシンケルは、イギリスのチューダー様式を採り入れ、屋根が平らで、壁の上部がのこぎり状に凹凸のあるデザインとし、古い主塔や塔を除いて、ネオ・ゴシック様式の外観となった。

 また、城の内部も、新古典主義のもので、ヴィルヘルム4世がコレクターから買い求めた価値あるもので内装された。

 騎士の広間や、ヴィルヘルム4世の居室等の19世紀の内装や、武具、武器のコレクションなどを見ることが出来る。



☆ 写真集(PBase) @ A B 

☆ 写真集

☆ 写真集

☆ www.romantischer-rhein.de

☆ www.koblenz-touristik.de

☆ www.welterbe-mittelrheintal.de

☆ ユネスコ世界遺産HP



ブログランキングに参加しています。 応援よろしくお願いします。
kaigai80_15.gifbnr80_15_03.gifbanner_04.gif




YouTube動画 その1
★Stolzenfels Koblenz Rhein Mosel Germany


YouTube動画 その2
★Jakobsweg Mosel Camino Santiago


YouTube動画 その3
★Koblenz Schloss Stolzenfels von Henny Monzel


YouTube動画 その4
★schloss stolzenfels castle koblenz Rhein germany


YouTube動画 その5
★St. Martin Umzug Feuer Koblenz-Stolzenfels


YouTube動画 その6
★Raddampfer Goethe passiert Stolzenfels am Rhein




ブログランキングに参加しています。 応援よろしくお願いします。
kaigai80_15.gifbnr80_15_03.gifbanner_04.gif






posted by トラベラー at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツ
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。