☆ 地図と写真(panoramio)
アルハンブラ宮殿(La Alhambra)は、スペイン南部アンダルシア地方、シエラ・ネバダ山脈(Sierra Nevada)の北側山麓、グラナダ(Granada)旧市街の東の丘(al-Sabika)にある。
グラナダで最も古い歴史を持つアルバイシン地区(Albaycín)をダーロ川(Dauro)向こうに見下ろすように建っている。
「アルハンブラ」は、アラビア語で「赤い城」を意味し、宮殿や城壁に使われた土に含まれる鉄分によって赤みを帯びており、特に、夕日を浴びて真っ赤に染まったことが、その名の由来となっている。
10世紀、古代ローマの植民市イリベリスの跡に街が造られ、8世紀以降は、コルドバを首都とする後ウマイヤ朝の下にあった。
11世紀初頭には、後ウマイヤ朝が衰えて、イベリア半島に小国が分立し、そのタイファ諸国の1つとしてズィール朝グラナダ王国が成立し、その首都となった。
しかし、11世紀末にはムラービト朝に、12世紀にムワッヒド朝に征服された。
1232年、グラナダ王国が、ナスル朝ムハンマド1世(在位:1232 - 73年)によって建国され、カスティーリャ王国などキリスト勢力のレコンキスタに追われ、イベリア半島におけるイスラム勢力最後の牙城となった。
1234年、ムハンマド1世は、丘の上に要塞を建設させた。日夜を問わず建設が続けられた要塞は、赤土で出来た城という意味で、地元民から“al-kalat al-hamrá”と呼ばれた。
そして、1237年に、ムハンマド1世は、この地をグラナダ王国の首都として正式に定めた。
その後、ナスル朝7代目サルタンのユースフ1世(在位:1333 - 54年)と次代のムハンマド5世(在位:1354 - 91年)の時代には、13世紀から造営されていた宮殿の大規模な改修が行われ、現在まで残るコレマス宮などが次々と建築された。
ムハンマド5世の治世下の14世紀後半は、イタリアのジェノヴァ商人などとの交易により経済的繁栄を収め、最盛期を迎えていた。
1492年、フェルナンドとイサベル両王が率いるキリスト教徒軍はグラナダを包囲し、ムハンマド12世(在位:1482 - 92年)を最期に、アルハンブラは無血開城し、グラナダ王国は滅亡した。
16世紀、後に神聖ローマ皇帝カール5世(在位:1519 - 56年)として即位したスペイン王カルロス1世(在位:1516 - 56年)は、グラナダ奪還後のキリスト教勢力の威信を示すため、アルハンブラに新たな宮殿の建設を命じ、現在の「カルロス5世宮殿」(Palacio de Carlos V)となった。
18世紀以降、アルハンブラ宮殿は財政難などから放置され、廃墟になっていた。
19世紀初頭、米国の作家ワシントン・アーヴィングが、4年間のスペイン滞在中、かつてのカルロス1世の部屋に滞在して執筆し、1832年に『アルハンブラ物語』を出版した。
これを契機に、アルハンブラ宮殿が見直され、修復作業が始められた。
見所:
アルハンブラ宮殿は、王宮、カルロス5世宮殿、アルカサバ、ヘラネリフェの4つの部分からなっている。
◆ 王宮(Palacio de la Alhambra)
メスアール宮、コマレス宮、ライオン宮などからなる。
○ メスアール宮(Palacio de Mexuar)
裁判所や会議場として使われたアルハンブラの中で最古の部分であるが、グラナダを征服したキリスト教徒によって改修された。
メスアールの中庭(Patio del Mexuar)に面した壁面が、アルハンブラ宮殿の中で、最も美しいファザードと言われている。
☆ 写真(panoramio)
○ コマレス宮(Palacio de Comares)
1370年に、ムハンマド5世によって建築が始められ、15世紀に完成した。コマレス塔(Torre de Comares)には豪華に装飾された天井のある「大使の間」(Sala de los Embajadores)は、グラナダ王国の政治の中心となった。
☆ 写真(panoramio)
○ アラヤネスの中庭(Patio de los Arrayanes)
メスアールの中庭を抜けたところにある中庭で、中央には縦37m、幅23mの長方形の池があり、鏡のような池には、回廊のあるコマレス宮が美しく映し出される。
☆ 写真(panoramio)
○ ライオン宮(Palacio de los Leones)
1377年に、ムハンマド5世によって建築が始められた冬の離宮で、アラヤネスの中庭の南東から、(Sala de los Mozárabes)を抜けたところにある。
クモの巣をイメージした天井が特徴の「アベンセラヘスの間」(Sala de los Abencerrajes)や、中庭を挟んで反対の北側には、蜂の巣が広がったような天井と鍾乳石の装飾がスタッコとタイルで施された8角形の「二姉妹の間」(Sala de las Dos Hermanas)が見所。
☆ 写真(panoramio)
○ ライオンの中庭(Patio de los Leones)
ライオン宮殿の中庭で、長さ28m、幅16mの中庭の中心には「ライオンの噴水」(Fuente de los Leones)がある。
水盤が大理石の12頭のライオンに支えられ、かつては、毎時間1頭の獅子が水を噴く仕掛けの水時計となっていた。周囲は124本の大理石の柱が並ぶ回廊になっている。
☆ 写真(panoramio)
◆ アルカサバ(Alcazaba)
グラナダがイスラム勢力の支配下に入る以前の9世紀には、既に古い砦があった場所で、現在の要塞アルカサバは、1234年からムハンマド1世によって建設が始められ、アルハンブラの中では最も最初に造られた部分。
城壁が築かれ、3つの塔(Gorge、Tribute、Vela)が建てられ、宮殿が完成するムハンマド2世の頃まで、居城となった。
レコンキスタ後は、要塞の改修が行われ、後には国の監獄となり、フランス軍に占領されたこともあった。
http://www.alhambradegranada.org/historia/alhambraTVela.asp ○ ベラの塔(Torre de la Vela)
塔に登ると、シエラ・ネバダグラナダの山々街を一望することができる。
☆ 写真(panoramio)
◆ カルロス5世宮殿(Palacio de Carlos V)
キリスト教勢力がグラナダを奪還して、カルロス5世によってルネサンス様式で建てられ、スペイン・ルネッサンスを代表する建築物とされる。現在は、アルハンブラ博物館として利用されている。
また、サンタ・マリア・アルハンブラ教会が隣接している。
☆ 写真(panoramio)
◆ ヘネラリフェ庭園(Generalife)
アラビア語で「天の楽園」という意味の水の庭園ヘネラリーフェは、王の避暑のための離宮として使われ、ヘネラリーフェからはアルハンブラ宮殿が一望できる。
13〜14世紀にこの地を支配したイスラムの首長の別荘として造られ、敷地の高低差を生かして多くの噴水が設けられ、花や木々がふんだんに植えられている。
○ アセキアの中庭(Patio de la Acequia)
「水路」を意味するアセキアが、中庭の中央に延び、両側に噴水と植物が配されている。
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