大きな地図で見る
バルセロナ(Barcelona)は、スペイン北東部のカタルーニャ自治州の州都、バルセロナ県の県都で、人口約160万人は、マドリードに次ぐスペイン第2の都市。
フランスとの国境であるピレネー山脈から160km南の地中海沿岸に位置し、スペイン最大の港湾都市。
先史、古代から、スペイン東部沿岸には、イベリア人(Ibero)が定着し、青銅技術、農業、金属加工術を持ち、フェニキア人、ギリシャ人、カルタゴ人などと地中海貿易を行っていた。
第1次ポエニ戦争の後、カルタゴに支配され、バルチーノが建設されたとされる。その後、カルタゴに代わってローマの勢力が入り込み、ローマ軍の駐屯地、カストルムを、現在の市庁舎(Sant Jaume 宮殿)近くの小さな丘(Mons Taber)に築いた。ローマは、幾たびもの戦争を通じて支配を広げ、紀元後1世紀までかかって、イベリア半島全域をローマの属領にした。
5世紀には西ゴート族に、8世紀にはムーア人に征服され、さらに、9世紀初めキリスト教徒が奪還して、フランク王国の支配下に入るが、985年には、後ウマイヤ朝の宰相、かつ名将であったアル・マンスール(Al-Mansur Ibn Abi Aamir)によって占拠、略奪された。
中世以降は、フランク王国の辺境領としてのバルセロナ伯領が置かれた。1137年、アラゴン王家とバルセロナ伯家が婚姻を通じて、両家の連合、カタルーニャ・アラゴン連合王国にが成立。13世紀にハイメ1世のもとで、バレアレス諸島やバレンシアへのレコンキスタを進めた。
これによってイベリア半島におけるレコンキスタは一応終結し、アラゴン王国は、バルセロナを拠点に、地中海に発展していく。
1282年、シチリア島民がフランス・アンジュー家の圧政に反して蜂起、アラゴン王ペドロ3世がシチリア王として迎えられ、以後、アラゴン王家が代々シチリアを支配した。
アラゴン王家は、14〜15世紀に、シチリアやナポリ王国も支配し、地中海帝国を築いた。
しかし、1479年に、カスティーリャ王国とアラゴン王国が同君連合となって統一王朝が形成されると、スペインの中心はマドリードへと移行し、さらに、新大陸の発見で、地中海での影響力は弱体化、バルセロナは衰退へ。
この地方ではカタルーニャ語が話され、独自の文化を持つ。スペイン統一後は独立運動が強まり、19世紀後半からは、商工業の発展とともに労働運動が盛んになり、一時は自治権を獲得。スペイン内戦では共和派最後の拠点に。
街は、13〜15世紀のゴシック建築がヨーロッパの中でも最も多く保存されている旧市街の「ゴシック地区」も見どころだが、やはり、アントニ・ガウディによる多くの素晴らしい建築が魅力的。
カタルーニャ独自の建築技術をベースに、イスラム風の装飾、植物を連想させる装飾モチーフ、曲線・曲面を多用したオリジナリティを特徴とする「アントニ・ガウディの作品群」は、1984年、ユネスコの世界遺産に登録された。
☆ 写真集
☆ 写真集
☆ 写真集
☆ 写真集
☆ 写真集
☆ 写真集
☆ 写真集
☆ 写真集
☆ www.barcelona-tourist-guide.com
☆ www.barcelonaturisme.com
☆ www.barcelona-on-line.es
☆ ユネスコ世界遺産HP
ブログランキングに参加しています。




YouTube動画 その1
★BARCELONA by GAUDI
YouTube動画 その2
★BARCELONA-Spain-Gaudi
YouTube動画 その3
★Barcelona! A rapid tour around town in April 02. Gaudi, etc.
YouTube動画 その4
★Gaudi
YouTube動画 その5
★CASA BATLLO
YouTube動画 その6
★Casa Batlló...
YouTube動画 その7
★barcelona tourist guide
YouTube動画 その8
★HIGHLIGHTS FROM BARCELONA