コルドバ(Cordoba)は、スペイン南部のアンダルシア州、コルドバ県の県都で、人口約32万人。グアダルキビール川右岸にある交通・商業の中心地で、皮革、金銀細工が伝統産業。(地図)
起源は古代ローマの植民都市で、ローマ寺院やローマ橋などの遺跡が現在も見られる。
その後、西ゴート王国、6世紀のビザンティンの支配を経て、イスラム教徒・ムスリムがスペインを征服したのが711年。
シリアのダマスカスを首都としていたイスラム王朝の「ウマイヤ朝」が、750年にアッバース朝によって滅ぼされると、その王族の1人であったアブド・アッラフマーン1世はイベリア半島に逃れ、756年に「後ウマイヤ朝」を建てた。こと時、コルドバに首都が置かれ、コルドバの偉大な繁栄の時期が始まった。
10世紀には、アブド・アッラフマーン3世、ハカム2世の治世下、トレドと並んで西方イスラーム文化の中心地として発展。世界最大の人口を持つ都市となり、コンスタンチノープル、ダマスカス、バグダッドと、その繁栄ぶりを競い合った。
この時代に、メスキータと呼ばれた壮大なモスクをはじめとする約300のモスクと、宮殿や街路、公共施設の数え切れないほどの建物、特に、大図書館が建てられ、多くの学者が活躍した。現在も、イスラム時代の文化を伝える建築物が多い。
繁栄を極めたイスラム都市も、やがて、レコンキスタを唱えるキリスト教徒の勢力に巻き返しを図られ、ついに、1236年、カスティーリャ王国のフェルナンド3世に征服された。さらに、15世紀末に、レコンキスタが完了するとイスラム勢力が完全にイベリア半島から追われることに。
その結果、13世紀にメスキータの一部は壊され、キリスト教のゴシック式聖堂や新たな防衛施設に改築された。その中でも、アルフォンソ11世が建てたアルカサル城やローマ橋の要塞門であるカラオーラの塔が著名。メスキータの窓などのイスラム装飾に、その名残が偲ばれる。
メスキータやローマ橋などの建造物と、花の小径で有名なユダヤ人街を含めた「コルドバ歴史地区」は世界遺産に登録されている。
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