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ハーグ(Den Haag:デン・ハーフ)は、南ホラント州の州都で、北東60kmにアムステルダム、南南東25kmにロッテルダムがあり、人口47万人で両市に次ぐオランダ王国第3の都市で、北海沿岸に位置する。
正式名称は、's-Gravenhage(スフラーフェンハーヘ)と言い、伯爵の生け垣(count's hedge)を意味する。13世紀に、ホラント伯爵ウィリアム2世(William II, Count of Holland、在位:1228-56年、Rival King to Frederick II and Conrad IV, 12471254)が、この地を狩猟のための館の建設地に選んだことに由来。ちなみに、英語ではザ・ヘイグ (The Hague)。
ハーグは、国会議事堂のほか、王室の宮殿、中央官庁、各国の大使館などが置かれており、実質的には首都機能を持っている政治の中心都市。また、国連機関である国際司法裁判所、国際刑事裁判所等の重要な国際機関も複数置かれている。
700を超える大小の公園と森が点在し、人口密度が低く、「ヨーロッパ最大の村」という異名を持つ。
ハーグの町の起源は、1248年、ホラント伯ウィリアム2世によって、海岸近くの森に城の建設が始められたことに。
1280年、フローリス5世によって、「騎士の館(リッデルザール、Ridderzaal)」の原型が建築され、現在の国会議事堂(ビネンホフ)に。今でも、毎年9月の第3火曜日に、ベアドリックス女王が金の馬車でここに到着し、国会の開会式が行なわれる。
1568年から始まったオランダ独立戦争は、1579年に、ネーデルラント北部7州による対スペイン軍事同盟(ユトレヒト同盟)が結ばれ、1581年には、実質的に独立を果たした。
7州のうち、ホラント州が、人口、財政基盤等で突出していたものの、ホラントのどこを首都にするかは一致せず、有力都市であったライデンやデルフト、ドルドレヒトは、当時、小村であったハーグに行政の中心を置くことで妥協。そして、小都市としておくため、市場の開催、城壁の建設などの特権が認められる都市の資格は与えらなかった。
1586年、ネーデルラント連邦共和国の議会がハーグで開催され、17世紀には、共和国統領の官邸が置かれ、共和国の首都となった。オラニエ・ナッサウ家の出身のイングランド王ウィリアム3世 (在位:1688-1702年、ウィレム3世、Willem III van Oranje-Nassau)は、ハーグで生まれ、1672〜1702年の間、共和国統領を兼ねていた。
やがて、町は発展し、ホラント伯爵の宮殿ビネンホフを取り囲むようにして、バロック様式やルネッサンス様式の建物が建っていった。
マウリッツハイス美術館(Mauritshuis)の建物は、1633〜43年に建築され、オランダ総督を務めたオラニエ・ナッサウ家の館で、ビネンホフのすぐ脇にあり、社交会、舞踏会の場、州政府の迎賓館として使用され、その後、国王ウィリアム1世の王立美術館として、1822年、公開された。
オランダ総督ヴィレム5世と、その子のオランダ初代国王ヴィレム1世をはじめ、オラニエ家が代々収集した17世紀のフランドル絵画など、珠玉の名品を収蔵。中でも、世界に37点しかないフェルメールの作品のうち3点があることが特筆される。
主な所蔵品: ・フェルメール「真珠の耳飾の少女」「デルフトの眺望」「ディアナとニンフたち」
・レンブラント「トゥルプ博士の解剖学講義」「水浴のセザンヌ」
・ルーベンス「聖母被昇天」
・ブリューゲルとルーベンスの共同作品「地上の楽園」など
☆ 写真集
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☆ www.mauritshuis.nl
☆ www.denhaag.com
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『真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)』 (1665年頃)
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『デルフトの眺望』 (1660 - 1661年頃)
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