2008年03月06日

サラゴサ アラゴン王国の古都







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 サラゴサ(Zaragoza)は、スペイン北東部、アラゴン州の州都、サラゴサ県の県都。人口は、約65万人でスペイン第5位と、州の人口の約半分、県の人口の約4分の3が集中。2003年に開通した高速鉄道AVEで、マドリードから1時間半。

 スペイン北東部を流れるエブロ川の中流に位置し、中世にアラゴン王国の都が置かれた。

 古代ローマ時代、アウグストゥスにより、植民市「カエサラウグスタ」が築かれた。

 紀元2世紀に繁栄し、ローマ浴場や劇場などの公共施設が建てられ、今に残されている。

 3世紀には、ローマの城壁が建設された。409年頃、スエビ族や西ゴート族などのゲルマン人がイベリア半島に侵入を始め、サラゴサはその頑丈な城壁で守られていたが、472年、ついに西ゴートに陥落。

 7世紀には、セビリャ、トレドと並んで西ゴート王国の文化の中心地となった。

 714年以降、ウマイヤ朝イスラム勢力の支配下、スペイン北部で最大のイスラム都市となり、ピレネー山脈のキリスト教諸国との前線となった。

 後ウマイヤ朝(Caliphate of Córdoba)が内乱で崩壊すると、イベリア半島のイスラム勢力は分裂、抗争するようになり、1018から1世紀の間は、タイファ諸国の1つ、サラゴサ王国に。この頃、アルハフェリア宮殿が建てられた。

 北では、1035年、ナバラ王国が分割相続されて、アラゴン川の渓谷を相続したラミロ1世が、アラゴン王国の初代国王(在位:1035〜63年)に。  やがて、北アフリカのサハラ砂漠西部に興ったムラービト朝(アルモラビト朝)が、モロッコから、コルドバ、セビリャを占領、1110年、サラゴサ王国も占領された。

 しかし、1118年、ムラービト朝の強力な指導者がいなくなると、アラゴン王国のアルフォンソ1世(在位:1104〜34年)が征服。これ以降、サラゴサは、アラゴン王国の首都となった。多くのイスラム教徒が立ち去ったために人口が減少し、フランスやナバラからの植民が行われた。

 1137年、アラゴン王家とバルセロナ伯家が婚姻を通じて、両家の連合が成立。アラゴン、バルセロナともそれぞれ別のコルテス(議会)を持ち、法制度の違いも残ったが、王家は一本化されカタルーニャ・アラゴン連合王国に。

 強大化したアラゴン連合王国は、レコンキスタを加速化させ、1229年には、ハイメ1世がイスラム教徒が支配するバレアレス諸島を占領、1238年には、バルセロナの南にあるイスラムのバレンシア王国を征服。

 これによってイベリア半島におけるレコンキスタは一応終結し、アラゴン王国はバルセロナを拠点に地中海へ発展していく。

 1282年、シチリア島民がフランス・アンジュー家の圧政に反して蜂起、アラゴン王ペドロ3世がシチリア王として迎えられ、以後、アラゴン王家が代々シチリアを支配した。

 1469年、アラゴンの王子フェルナンドが、カスティーリャの王女イサベルと結婚し、1479年には、アラゴン王国とカスティーリャ・レオン王国(首都トレド)の同君連合が成立、スペイン(イスパニア)王国(Spanish Monarchy)が誕生した。

 しかし、カスティーリャ王国との連合、スペイン王国の成立は、アラゴン王国の地位を低下させることに。両国の国力の差は歴然で、カスティーリャ王国に取り込まれ、1561年に、ハプスブルク家出身のフェリペ2世によって、宮廷はマドリードに。

 さらに、新大陸の発見で、地中海での影響力は弱体化、16世紀以降は、オスマン帝国によって地中海帝国の座を奪われて行った。

 1808〜09年、ナポレオン軍の侵入に抵抗した半島戦争では、サラゴサは、2度にわたって攻囲された。

 1908年、サラゴサで「スペイン・フランス博覧会」が開かれ、100年後の今年6〜9月に、「水と持続可能な開発(Water and Sustainable Development)」をテーマに、「サラゴサ万国博覧会」が開かれる。

見所:

○ ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂(Basilica del Pilar)

 紀元40年、ヤコブの前に、聖母マリアが柱(ピラール)の上に立って現れたという伝説がある。現在の建物は17〜19世紀にかけて建てられたもの。

○ カテドラル「ラ・セオ」(Cathedral of San Salvador、La Seo)

 ロマネスク、ゴシック、ムデハルなどの建築様式が融合する大聖堂で、「セオ」は、アラゴン語で「大司教座」を意味する。

○ アルハフェリア宮殿

 タイファ時代、イスラム君主によって建てられた城で、アラゴン王国の宮殿としても使われた。

 世界遺産「アラゴンのムデハル様式の建築物」には、サラゴサの3つの建築物が含まれている。

 ☆ アルハフェリア宮殿(La Aljafería)のムデハル様式の遺跡(写真 @ A B)

 ☆ ラ・セオの後陣、礼拝堂(パロキエタ)、ドーム(写真 @ A)

 ☆ サン・パブロ教会の塔と教区教会(写真 @



☆ 写真集(El Pilar) @ A B C D E F G H I

☆ 写真集  @ A B C D E F

☆ 写真集

☆ 写真集

☆ 写真集

☆ 写真集

☆ 写真集

☆ 写真集

☆ 写真集 

☆ www.aragonguide.com

☆ cmisapp.zaragoza.es(写真集)

☆ www.aragonguide.com

☆ ユネスコ世界遺産HP



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posted by トラベラー at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | スペイン
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