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サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアルは、マドリッド郊外、北西約45kmに位置するマドリッド県の町で、人口約9千人。マドリッドから列車で約1時間。
エル・エスコリアル聖ロレンソ修道院は、シエラ・デ・グアダラマ山脈、アバントス山の斜面に位置する王室御用邸。広大な宮殿、修道院、図書館などからなる複合施設で、「マドリッドのエスコリアルの修道院と遺跡」として、1984年に、世界遺産に登録されている。
サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアルの町には、レコンキスタ以前の古い遺跡が残っているものの、11世紀に、キリスト教徒がこの地域を奪還し、12世紀に再植民されて農業と牧畜を営んでいた。
1561年、マドリードに宮廷を移し、フェリペ2世は、父カルロス5世の追悼のための霊廟を設置し、スペインにおけるアウストリア家の座を揺るぎないものとするため、エスコリアル修道院の建設を命じた。
また、フランスとのサン・カンタンの戦いの際、聖ロレンソに奉げられた教会を破壊してしまったことの埋め合わせ、さらに、反宗教改革の研究といった目的も、並存した。
建物は、フアン・バウティスタ・デ・トレドが手がけ、 ヒアンバティスタ・カステリョ、最後はフアン・デ・エレラの3人の建築家によって、厳格な古典様式で、1563〜1584年にかけて造営された。
過度の装飾を一切排除し、線が主役を演ずるエレラ様式と言われる建築様式が特徴で、ファサードの全長は207m。
約3万3千uの四角い建物は、全長207mファサードから、教会正門を飾るユダの王たちの像が見える「王たちの中庭」に抜ける。
丸屋根がある教会には、43の祭壇と礼拝堂があり、王室礼拝堂の下には、アウストリア家、アブスブルゴ(ハプスブルク)家、ボルボーン(ブルボン)家の5世紀の間の王達26人の棺をはじめ、王族の墓がある王室霊廟になっている。
教会内陣の後には、アウストリア家の宮殿があり、スペイン王国が勝利した戦いの場面を描いたフレスコ画で飾られた「戦いの間」が必見。
美術館には、エル・グレコ、ディエゴ・ベラスケス、スルバラン、リベラ、ティントレット、ティツィアーノ、ルーベンス、ヴェロネーゼの傑作が収蔵されている。
また、古代の古文書を蔵書した図書館には、アルフォンソ10世「賢王」の「サンタ・マリア賛歌集」、聖女テレサ・デ・ヘススの作品、モサラベの写本、黄金の文字で書かれた「アウレオ(黄金)の写本」等がある。
☆ 写真集(外観) @ A B C D E F G H I
☆ 写真集(内部) @ A B C D E F G H I
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★Spain 2006 - Escorial Segovia Avila(始めの3分の1がエル・エスコリアル)
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