☆ 地図と写真(panoramio)
スプリト(Split)は、クロアチア南部、アドリア海のに面した小さな半島に位置し、人口約19万人のクロアチア第2の都市。
クロアチア第3の空港、カシテラ(Kaštela)空港があり、首都ザグレブとフランクフルトから、夏季観光シーズンの利用者が多い。
ギリシアの植民市として築かれ、その後、ローマの属州、ダルマチア州となって、この地方の中心地に。
専制君主制を創始し、テトラルキア(四分割統治)を導入して、ローマ帝国の大改革を行ったディオクレティアヌス帝(在位:284〜305年)が、健康を崩したこともあって305年に退位して、彼の出身地に近いスパラトゥム(Spalatum)の町の海辺の宮殿で余生を送った。
退位前の293年に、建築が開始され、長さ約200m、高さ15〜20mの城壁を備えたローマ軍の要塞のような壮大な宮殿が出来上がった。水の確保のため、泉(Jadro Spring)から水道も引かれた。
その後、476年に西ローマ帝国が滅亡すると、スパラトゥムはビザンティン帝国の支配下に。
639年、ダルマチアの首都サロナ(Salona)が、中央アジア周辺で活躍した遊牧民族アヴァール人や、スラブ人の侵略を受け、住民は一時、アドリア海の島々に逃れた。
ビザンティン帝国の支配下に戻ると、彼等は堅固な要塞のあるスパラトゥムのディオクレティアヌス宮殿(Diocletian's Palace)を選ぶこととした。
それまで、宮殿は放置されていたが、人々は州都として相応しくするため、スパラトゥムは改造、拡大された。ディオクレティアヌス帝の霊廟が大聖堂となり、宮殿の中に市場、店、広場が出来、今日までかつての宮殿が、街の核になっている。
中世には、ビザンティン帝国が衰退に向かい、ヴェネチア共和国、クロアチア王国、後にはハンガリー王国など周辺国の勢力争いの中、自治を確保していた。
7世紀から、南部スラブ人が押し寄せ、その影響を強め、クロアチア王国が建てられ、ビザンティン帝国の衰退が進むにつれ、クロアチア王国が事実上の宗主権を持つようになったが、この町の自治は認められていた。
10世紀には、繁栄するヴェネチア共和国が、アドリア海沿岸の都市への影響力を強め、この町もクロアチアやハンガリーの力が弱まった時期には支配下に。
アンジュー家最後のナポリ王ラディズラーオ1世(在位:1386〜89年) は、1390年、ジギスムントと、そのハンガリー王位の継承を巡っての争いで敗れた。
彼によって、当時、ナポリ王が持っていたダルマチアの権利は、1409年にヴェネチア共和国に売り渡され、以降、1420〜1797年の間の4百年近くは、ヴェネチア共和国の支配下に。スパーラト(Spalato)と呼ばれ、現在でもイタリア語ではそう呼ばれる。
この間も、スプリトは、オスマン帝国が治めた内陸部への交易ルートに続く、重要な港町であった。
1806〜13年までの短期間のナポレオン支配の後、ウィーン会議により、ダルマチアは、オーストリア帝国の直轄領に。大規模な投資が行われ、新しい通りが整備され、要塞の一部は取り払われた。
第1次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー二重帝国が解体され、その後1929年の改名でユーゴスラヴィアとなった連邦国家に加盟。ユーゴスラヴィアで、最も重要な港となり、各地と結ぶ鉄道も1925年までには完成した。
1979年、「ディオクレティアヌス宮殿があるスプリトの歴史的建造物群」として、世界遺産に登録された。 見所:
○ ディオクレティアヌス宮殿
305年に完成した東西150m、南北200mの宮殿には、東西南北に、それぞれ、金の門、銀の門、銅の門、鉄の門があり、中には、皇帝の居室や謁見室、ユピテル神殿(Temple of Jupiter)、霊廟(Diocletian's mausoleum)などがあった。ローマ帝国崩壊後廃墟となり、その後、埋め立てられ、宮殿の上に現在の街ができている。
写真のシーンになっているのが、宮殿内部のクーポラから見上げた空と大聖堂の塔のシーン。
現在、宮殿の遺跡は、道路から3つの階段を下りた開放的なテラスになっており、エジプト産の花崗岩と大理石の16本の円柱が大きなアーチを支え、その下には紀元前15世紀のエジプトで造られたスフィンクスが置かれている。
○ 聖ドムニウス大聖堂(Cathedral of St Domnius、聖ドゥイェ大聖堂:Katedral Sv. Duje)
ディオクレティアヌス帝は、キリスト教を迫害したことから、皇帝の死後、霊廟(Diocletian's mausoleum)聖ドムニウス聖殿は破壊され、その石材を利用して7世紀にコリント様式の2重の柱がある八角形の構造を持つ大聖堂が造られ、ユピテル神殿は洗礼堂に変えられた。
大聖堂にある鐘楼(Campanile)は、12〜16世紀に付け加えられたもので、高さ60mの鐘楼に登ると、スプリトの街とアドリア海を見渡すことができる。
○ スプリト博物館(Museum of Split、Muzej Grada Splita) 宮殿内のオープンスペースに、15〜16世紀にゴシック様式で建てられたPapalic Palaceの建物にあり、1946年に開館し、12〜18世紀のスプリトの歴史を物語る書物のコレクション、15〜18世紀の武具を展示。
○ 人民広場(People's Square、Narodni Trg Pjaca)
15世紀に出来た広場で、ここにあるルネサンス様式の旧市庁舎(Old Town Hall)には、民族学博物館(Ethnographic Museum of Split)が入っている。近くにあるロマネスク様式の時計塔(Romanesque Clocktower)も見所。
カンビ宮殿(Cambi Palace)をはじめ、富裕層が建てたルネサンス、ヴェネチア、ゴシック様式の建築物が取り巻く。
近くには、(Grgur Ninski、Gregory of Nin)の巨大な像が立っており、「幸運を呼ぶ足」として知られる。
○ ドミニク教会(Church of St Dominic、Sv. Dominik)
礼拝堂(Oratory of St Catherine)の跡に、中世に建てられ、17世紀に再建、1930年代に増築された。
○ 市場(Split Market)
教会近くの城壁の外にあり、青果、チーズ、肉など幅広くクロアチアの産物が集まる市場。ここからのディオクレティアヌス宮殿の眺めが一番とされる。
○ リバ海岸(Riva)
ディオクレティアヌス宮殿の南側にある海岸地区で、ナポレオンによる統治下に整備された。
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